ローマ時代の皇帝が身にまとう衣服は紫色(PURPLE-英語)であり、最高位をあらわす色であった。ローマの枢機卿が身につけた衣服は紫色に赤を加えた赤紫色で、それと同じ色をした石、斑岩をローマ人がPORPHYRY(PORPHYRA~ラテン語、PORFIDO-西/伊語)~PURPLE STONE~と呼んだのが始まりである。このように斑岩(PORPHYRY)は皇帝の石、最高の石を意味するものである。
斑岩の歴史は古く、人類文明発祥の地、シリアのバビロニア、エジプト、ローマ時代にまで遡る。古代エジプト人は王宮建築用の石として、まずその特別な赤色で凡人の建物と区別、差別し、また花崗岩よりも硬く、どんな気候条件にも永久的に耐える事から、斑岩を使用した。採掘や石の裁断には多大な労力を要したが、奴隷の存在がこれを助けた。
ローマ時代には、赤い斑岩は大きな権威と真の品位の象徴であった。“PORFIROGENITO”という階位があるが、これは“完全に斑岩-PORFIDO-で覆われた部屋で生まれた”という意味で、そういう部屋は権力者の宮殿にしか存在しなかった。多くの皇帝は斑岩の石棺で埋葬された。王宮の広間や、王の玉座のある部屋の床は“斑岩の輪”で装飾され、皇帝もこの“輪”の上で祈りを捧げ、ペルシャの王様から派遣された使い達もこの“輪”の上で皇帝と謁見した。同じ“斑岩の輪”は、コンスタンチノープルの宮殿や、サンペドロ寺院にも見られる。
西暦500年位迄の斑岩の唯一の産地はエジプトの砂漠であった。ネロ皇帝、セベロ皇帝の墓や、ディオクレシアーノ、コンスタンティノ宮殿は斑岩で造られた。ローマの遺跡から出た斑岩はその後の時代に利用された。例えばパレルモ市に現存するシシリア王の墓とか、ローマのサンペドロ噴水、17世紀に修復されたオトシ2世の墓等である。紀元4世紀、シリア産の“テトラルカ”に代表される赤斑岩の浮彫りや、コンスタンチノープルから戦利品で持ってきてベネチアのサンマルコス寺院の壁に埋め込まれた斑岩の浮彫りも有名である。ダンテはその作品“デイビナ喜劇”の中で、プルガトリオ山に昇って行く斑岩の階段を“まるで静脈から湧き出す血のようだ”と表現している。
文芸復興期の作家ジョルジオパサリは、その作品“建築家"の中で、斑岩の事を書いている。その硬さは当時の有名な彫刻家、レオンアルベルティ、ミゲルポナロッテイの鑿(のみ)をもってしても刃が立たず、その後数世紀にわたり他の彫刻家も挑戦したが完成せず、1700年から彫っているというその未完成の証拠品はフィレンツェのピッティ宮殿に保管されている。さらにラニエログノリは書いている。“ナポレオンの大きな石棺には、フィンランド産の赤黒い石を使わずに、赤色斑岩を使っている。我々は赤色斑岩の荘厳さと魅惑、その魅力を認めざるをえない”